( シーラカンスの夜 )


◼︎ 結局どこにも行けていない
知らない土地、に行きたいんじゃない
高いところ、もっと上の視点から

人付き合いが苦手、ではなくて
付き合う気がそもそもなくて
自分は本当にただただ子供だった
周りが大人で、それに上っ面の方便並べて感謝のふりをしていただけだ
どこにも自分がない、ある振りだ
そういう意味では大人でなくて子供でもなくなった

距離感ってなんだっけな
上手く付き合うというよりは、傷つきたくなかっただけだ
わたしのいままでってなんだったんだろう
10年以上何も変われていないのよ

ちょっぴり頭の整理

  

( 嫌いだ全部好きなのに )


■ 涼しい晩。
頭も身体も逃げようとしているのか、これが真当なことなのかもわからぬまま、夜明けを待つ。
賽は投げたの、神はただ練りわたしはそれを受けるだけ。
自分の道は自分で行くのだから。

■ 縋りたくなることは当然なのか、それとも甘えなのか。
普通 ならば上手くやれるのか、自分が下手なのか。
少なくとも慣れてはいない


( 群青 )

■ あまりに暑くて小分けのヨーグルト4つ全部と食パン齧って終了など


■ いろいろなことを決めてから、病み上がりの2日間を除いてやたら背中を押す/わたしの本質を抉る客に毎日会うなと思っていたけれど、それはわたしが呼んでいるんだろうなあって。
特に病み上がり後の2日間、そういう人が現れなかったのを見てそう感じた。

「がんばりんさい」
「誇り高く生きなさい」

間に合わせのために始めたいまの仕事、続けるつもりはそうそうないけれど
絶対宝物にはなるね

ありがとう


( 二度目の離れ離れも )


■ 1年半近くやっていたゲームのアプリ、twitterのアカウントを消した。

たまたま見に行った今日のほぼ日(7/22分) ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次

という一節があり、いろいろとつながる幸せを感じる。

わたしはもっと、自分の身体を使っていろんなものを見たい。


( 羊飼い衛生 )


■ また以前の様に文字を綴ろうと思う。

切欠は好きな歌詞の一文を打ったら自分のblogが出てきたから。
(何故か引き継げなかった)

2年ほど前で更新は止めていたけれど、当時の艶めかしい感情が当時なりに赤裸々に纏められていて中々だった。


昔ほどことば遊びもしないし更新も気紛れになるだろうけれど、未来の自分がつい最近のわたしの様に見ることになったら面白いので日記アプリはやめてやはりWebにあげることにする。

いずれは平穏の中で笑う君へ